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室町時代になると応仁の乱

室町時代になると応仁の乱が起こり京都が戦場となったため多くの資料が焼失し楽人は地方へ四散してしまい多くの演目や演奏技法が失われた。 この後しばらくは残った楽所や各楽人に細々と伝承される状態が続いたが、正親町天皇と後陽成天皇が京都に楽人を集めるなどして楽人の補強をはかり徐々に再興へと向かってゆく。

江戸時代に入ると江戸幕府が南都楽所、天王寺楽所、京都方の楽所を中心に禁裏様楽人衆を創設し、雅楽の復興が行われた。 江戸時代の雅楽はこの三方楽所を中心に展開していくこととなり、 雅楽を愛好する大名も増え古曲の復曲が盛んに行われるようになった。

明治時代に入ると、三方楽所や諸所の楽人が東京へ招集され雅楽局(後の宮内省雅楽部)を編成することとなった。 この際に各楽所で伝承されてきた違った節回しや舞の振り付けを統一するなどした。 また、明治選定譜が作成され明治政府は選定曲以外の曲の演奏を禁止したため千曲以上あった楽曲の大半が途絶えたとされている。しかし、江戸時代後期には既に八十曲あまりしか演奏がなされていなかったとの研究もありこの頃まで実際にどの程度伝承されていたかはよくわかっていない。
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現在宮内省雅楽部は宮内庁式部職楽部となり百曲ほどを継承しているが、 使用している楽譜が楽部創設以来の明治選定譜に基づいているにも関わらず昭和初期から現代にかけて大半の管弦曲の演奏速度が遅くなったらしく、曲によっては明治時代の三倍近くの長さになっておりこれに合わせて奏法も変化している。

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2009年10月20日 01:23に投稿されたエントリーのページです。

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