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高麗の建国期は

高麗の建国期は中国では五代十国の混乱期にあたり、自国の年号と中国王朝の年号を交互に使用することになる。つまり、独自の年号を使用しつつ、中国に安定した政権が現れると事大しその政権の年号を受け入れていた。また宋と遼が並立するようになると、両者に事大し両者の年号を併記した。ただし高麗にとって遼への事大はその武力に従ったもので、宋に対する慕華の念が薄れたわけではなく、北宋と遼、あるいは後に南宋と金、両朝の年号を併記する際にも宋の年号を先に記していた。

現存する文献中「小中華」「小華」の文字の初見はこの頃のもので、宋へ派遣された高麗使節の詩を、宋人が高く評価し詩集にまとめた『小華集』がそれに当たる。この詩集が「小華」と名付けられたことから、朝鮮人は「自己の文化は、中国王朝に準ずる高い水準に達したと、中国人から評価された」と解釈し、以降文化的優越観を込めて「小中華」「小華」の文字が使われ始めることになる。
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遼が金に滅ぼされると高麗は金に圧迫されて事大し、宋と金の年号を併記するようになる。その一方で高麗の文化的優越観は高まりを見せ、北宋滅亡後、南宋を西華と呼び「文明の朝は東の天より輝く」と文化的には中国王朝と対等とする自意識が表れる。一方蒙古(元)が勃興すると今度は蒙古に屈服し、蒙古の年号を用いることになる。蒙古による支配は通常の冊封関係とは違い、内政にまで強く干渉してくるものであり、国王は元帝室の娘婿となり、国王以下官僚達は辮髪をし衣冠服飾も元の俗に倣うことになる。この時期、檀君説話が「三国遺事」や「帝王韻記」にまとめられる。檀君説話はこの時代の文献に始めて見られるものであるが、この檀君説話は箕子朝鮮説話と合わさり、李朝前期の「朝鮮は中国の堯と同じ時期に檀君が建国し、儒教は孔子の生まれる前、箕子によって朝鮮にもたらされた」とする、歴史の長さや儒教の伝統の面でも中華に張り合おうとする主張に繋がることになる。

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2009年11月11日 00:59に投稿されたエントリーのページです。

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